今回は着物の歴史についてお伝え致します(^^)
着物は今や、海外の人からも大人気の日本文化です。
着物について聞かれた時に自信をもって答えられるよう、着物の歴史を知っておきましょう♫
世界中で「Kimono」と呼ばれています
着物は、もともと「着るもの」のこと。日本では衣服全般を指す言葉でした。
洋服が一般的な日本人の衣服になった現代では、着物=和服という認識に変わっています。
ヨーロッパではすでに16世紀頃、日本の衣服を指す「Kimono」という言葉が伝えられていたそうです。
現在、欧米諸国を始め多くの国々で、着物は「Kimono」の名称で呼ばれています。
十二単(じゅうにひとえ)について
現在着られているような着物のルーツは、平安時代にあるとされています。
それ以前は、ズボンやワンピース形式の衣服が主流で、中国など大陸の影響が色濃く見られるみられるものでした。
平安時代、宮廷につかえる高位の女官が着た「唐衣裳(からぎぬも)装束」(俗に言う十二単)の
下に来た小袖(こそで)が、今の着物の原型。
十二単があのように何枚も重ね着をするのは、女官の衣装だったからと言われています。
貴人の御前へ出る時に小袖を重ね着して礼節を表したのが、
次第に華美を競うようになり、あのような形になったそうです。
ちなみに「十二単」と呼びますが、必ずしも実際に12枚着ているわけではなく、重ね着を総称してそう呼んでいます。
現代の着物はかつては下着だった?
現代の着物の原型は、唐衣裳装束の下に着る「小袖」。
「白小袖」とも呼ばれる「小袖」は、もともとは下着だったのです。
その後、鎌倉・室町時代へと時代が下るにつれて、平安時代に表着だった「袴」や「裳」は
省略されるようになり、「小袖」のみが残って、現代の着物へと変わって行きました。
洋服を見ても、かつて下着だったTシャツが今ではアウターとして扱われるように、
衣類の進化はカジュアルダウンするものなのかもしれません。
現代の着物と変わらない江戸時代の着物
着物の歴史と言いますが、江戸時代までの着物の歴史は、貴族や武士、
つまり上流階級の人だけが着ていた着物の歴史でした。
江戸時代になると庶民階級が発達して、多彩な着物文化を生み出します。
「改まった席は紋付羽織」「紬は高価でも礼装にならない」と言った、
現代の着物の決まりごとの多くが江戸時代に出来ました。
着物も現代と変わらない形になり、帯揚げを使ってさまざまな形に帯を結ぶようにもなっています。
自由に着物を楽しめる現代
明治になり、士・農・工・商の身分制度がなくなると、
庶民でも上流階級のものだった着物を着るようになってきます。
「武士や富裕階級は絹、庶民は綿・麻」といった区分けはなくなります。
その後、和洋折衷(わようせっちゅう)で着物にレースや洋傘を合わせるようになり、
ファッションとして着物を楽しめるようになってきました。
現代はデザインも素材も多彩で、かつてないほど自由に着物を楽しめる時代です。
一方で、現代では「着物を着たことがない」という人も珍しくなくなりました。
歴史上もっとも自由に、誰でも着物を楽しめる時代なのに、残念なことです。
着物は長い歴史に磨かれた、我が国の誇る伝統文化。
国際社会の今だからこそ、日本の着物を着てみませんか?